大阪 松下幸之助歴史館を行く

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大雪に見舞われた週末、大阪西三荘駅にあるパナソニック本社に併設されている松下幸之助歴史館に行ってきました


外観は創業の時の建物を復元したもの。平屋日本家屋から松下電器産業ははじまります。

扇風機の羽を作りながら、はじめての電化製品は、アタッチメントプラグ。当時電力不足や家電は高価だったことから、一般家庭には電球のソケットくらいしかありませんでした。そのソケットを延長したり、二股にして他の部屋でも電気を使えるようにする。そんな工夫を凝らした商品が初めてのヒット商品となります。

その後、故障の多いラジオに憤慨した創業者は、ラジオを作ると決意。苦心の末、故障しにくいラジオの開発に成功。

その後は、会社も商品ラインナップも販路も順調に拡大。


 トランジスターラジオや、テープレコーダーです。


1965年(昭和40年)製の、家具調のデザインを施したテレビ 嵯峨。昭和40年ごろからは、家電にも家具としてのデザインが施されるようになったそうです。1970年台後半からは、より若向きのデザイン カラフルさや、丸い形状などがトレンドになっていきます。そんなデザイン発展の歴史も興味深いです。家電に名前をつけるのもこのテレビ以降加速するそうです。


こちらは電子レンジ。1965年(昭和40年)に開発。今となっては当たり前に普及した電子レンジは昭和40年にはもうすでに形になっていたんですね。私はまだ生まれていません。


これは、1980年(昭和55年)に開発された、電気自転車第1号。今は子育てママの必需品となった電動アシスト自転車、昭和55年には1号が開発されていたなんてびっくりです。

その製品の歴史は日本の発展の歴史であり、会社の歴史は日本の不況や戦争を乗り越えた歴史だと感じました。


創業者自ら、必要に応じて商品開発、マーケティング、販社/営業提携を担当するといった話も展示されていました。上記は創業者がつくった広告の展示。

不況にも折れず、創業者はあらゆる工夫を尽くして困難を乗り越えていきます。その中の一つが、後の逸話で語られる、また社長職を辞任後の様々な活動でも知られるように、人としての哲学と、人の育成。
社訓や、経営方針、思想を従業員、さらには販社に伝えるための、社内報などの展示もあります。1965年(昭和40年)週休5日制をいち早く導入するなどの功績もあります。

創業者松下幸之助さんが、社長を引退したのは1961年(昭和36年)のこと。そんな前なんですね。ここに飾られている商品はそれ以降のものも多く、創業者が作った人たちが、その志を継いで新しい製品をつくり、売り続けたことが感じられます。


こちらは、1970年に開催された世界万国博覧会の松下館で埋められたタイムカプセル。2098品目が収納されています。タイムカプセルはなんと5000年間埋めておく構想なのだとか。5000年後って6970年ですね。途方も無い期間・・・。でも時々点検するらしくて、2000年に30年ぶりに掘り出して第1回めの点検がおこない、以降100年毎に点検するそうです。

個人的には2000年以降の商品や、最新テクノロジーをもっと見たかったなーとも思いますが、まあこちらは歴史館。パナソニック リビング ショールームは全国にありますからコンセプトの違いだとは思います。

あと、受付のあたりでスマホでメッセンジャーでやりとりをしていたら、「携帯電話の利用はお控えください」とかかりの方から注意されました。入り口近くのソファー付近ならかろうじて使って頂いてもいいですよとのこと。聞くと、携帯電話のカメラは利用可能なのだそうです。メッセンジャーやメール、通話はだめっぽかったです。会場内ならともかく、この意図がよくわかりませんでした。携帯作ってるし(昨年個人向けスマホは撤退されましたね)テクノロジーは禁止するよりも、むしろ積極的に活用したほうがいいのでは・・・と勝手ながら思ってしまいました。

人としての哲学も有名ですが、私は商品開発の歴史がとてもおもしろかったです。梅田から30分くらいで行ける場所ですので、大阪に寄られた時には一度足を運んでみてはいかがでしょうか。

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