大分旅行記(5) 臼杵城跡観光と、日本のお城の「本物」見分け方
14:31
大分旅行記録。
大分から少し南下したあたりにある臼杵市に行ってきました。
ここは戦国時代には、キリシタン大名の大友宗麟が城を構えたエリアです。
■臼杵城跡
臼杵城は、大友宗麟が1562年に城を構えました。
元になったのは海に浮かぶ丹生島。潮の満ち引きで陸地とつながる天然の要塞です。
その後、江戸時代は稲葉氏が1600年に入城、その後15代にわたりに住みました。
そして、明治時代、1873年に施行された「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」通称「廃城令」により、臼杵城の歴史は終わります。
現存建築は、登城の入り口を守る畳櫓と、本丸横の門脇櫓、本丸近くの堀の石垣が残ります。
■廃城令について
江戸から明治に時代が変わった時に、城は陸軍省の所轄となり、軍の拠点となる「在城処分」と、大蔵省の所轄となる「廃城処分」となりました。
廃城処分となった城は、当時の城は、地主の居城であるとともに要塞の機能があったため、新たな争いを避けるべく城は壊されました。当時、文化財と言う考え方はなかったんですね。
1919年(大正8年)に、文化財保護法(昭和25年)の前身にあたる法律が制定されます。結果、大戦の戦火や火事で失われるなどで、現存天守は現在12城だけ残っています。
■「本物」の日本のお城の見分け方
今残っているお城は、上記の歴史をかいくぐって残ったお城なのですが、どれが「本物」といえるのでしょうか?
来日観光客が増えれば、お城について聞かれることも増えるかもしれません。意外と知らない、「本物」のお城についてまとめておきます。
・「現存建築」がどれくらい残っているか
現存建築とは、江戸時代かそれ以前に建設され、現在まで残っている建築です。これは「本物」といえるでしょう。天守が残っていなくても、見張り台(櫓)や、門、石垣は公園として残っているケースも多くあります。
・天守が残っている場合は、どのような復元か
天守:お城の中心部に構えられた最も高い大櫓。日本の城の象徴で、司令塔などの機能が置かれた。
これにも本物と、それ以外があるようです
- 現存天守:12城
- 復元天守
- 木造復元天守:文化庁では木造の、当時の設計、材料に基づいた復元を「正しい復元」として認めています。ここまでが「本物」と言って良いと思います。
- 外観復元天守:外側は史実に基づいており、内側が鉄筋コンクリートなど近代的手法による復元です
- 復興天守:史料不足で設計や規模など異なる条件のもと、復元された天守。
- 模擬天守:史実に残っていない天守
本物じゃなくても、当時の暮らしや風景に思いを馳せるのか変わりません。お城おもしろいので、行ったことがない方も、こんなところからお城ツーリズムをはじめてみてはいかがでしょう
お城のあるエリアには、ほとんどの場合城下町が残っています。
次のレポートでは臼杵城の城下町について書きます。
右手が現存建築の畳櫓
明治時代に奉納された鳥居と畳櫓
二の丸櫓(復元)
本丸跡地から海を望むと、遠方に海と島々が見える。
当時の風景はどんなに素晴らしかったかと。
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